ホンモノって、本物なのか?

 インチキコーヒーロースターと名乗っている。謙遜しているわけじゃく、ある日突然焙煎機を買ってコーヒーロースターになったから、全く基本がわかっていない。だから、そう言い始めた。誰かに教わったわけでもなく、ましてや天才なんてものからはほど遠く、会社員から逃げ出したおっさんが勝手にはじめた仕事だから、ロースターだとか焙煎士だとか言われると恥ずかしくて恥ずかしくて逃げ出したくなる。って、逃げてばかり(笑

 喫茶をしてるときはマスターって言われるのもイヤだったなあ。なーんにもマスターしてないし、コーヒー淹れるのだって完全なる我流だし。

 

 そんなこんなで14年続いている。何をやるにしても、10年越えたら一人前って言われるらしい。だけど今も、先生や先輩がいるわけでもなく、後輩や弟子がいるわけでもない。ひとりで焙煎してコーヒーを淹れている。そう、はじめたころと何にも変わってないんだよな。同じ場所で同じことをひとり繰り返しているだけ。

 本を出さしてもらったり、コーヒー教室をやったりしているけれど、いつも頭の片隅にあるのは、オレ、こんなことやっても大丈夫なの?って思い。

 コーヒーロースターをはじめるのには、免許や試験があるわけではない。焙煎をはじめたときからコーヒーロースター、誰でも  簡単になれる。とても参入が容易ってことだ。それは、裏を返せば、販売して利益を出すのが難しいということになる。競争相手が多いってことだから。

 簡単そうに見えるもので、生き残るのは大変だ。長く修行していた人が独立した店や、大手資本の潤沢な資金で始めたコーヒーロースターでも簡単に潰れてしまうのが現実。なんとかチャンピオンとかコンテスト入賞の生前を使用してるからとか、そういう理由で生き残れるほど甘い世界ではない。ってことを、コーヒロースターになってから知った。どうやら私の選択は間違ったー、ヤバいヤバい、真剣にそう思った。

 

 本格派、本格的、ほんもの、いろんな場所で耳にする言葉。でもね、本物って上位とか優れているってことなのかしら?そもそも本物だとか本格って言葉は曖昧。定義ってあるんだろうか。って、調べろよ。いや、このブログは検索しないと決めているので検索しません。理由?長くなるので、その理由は次回のブログで。

 話が逸れました。戻ります。

 もしも、誰かや世間が本物を決めるのなら、そんな形のない流動的なものを本物だと決定できたりするのかしら、と思ったりする。そして、インチキは本物より劣るのだろうか?とも思う。

 

 歳をとって、いろんなものに興味や執着心がなくなった。探求心も。って、そもそも、そんなもの若いときからなかったじゃないかって自分で自分に突っ込んでる。その若いときよりもっともっとなくなっている。

 グルメにこだわったり、時計のコレクションや車や音楽のうんちくを聞くとなんだか辛くなる。そして、人のことより、そんなこと考えている自分に直面したとき、あー、オレ、カッコわるー、って思う。

 こだわりって、カッコ悪いんじゃないのかしら?なんて思う自分って、とてもカッコ悪いんじゃないのかしらと、もはやよく意味のわからないナナメ上のことを考えてしまってる。

 だからって、早川義夫みたいに逆張りできるわけでもなく、ただカッコ悪いおっさんだよね、50歳になって、本物って何?なんて考えているんだから。

 

 一生、本物になれないだろうな、わたくし。ずっと若いときから本物に憧れていた。あの気持はなんだったんだろう?そして今尚その残滓があるから、こんなブログを書いているのだろう。夢と同じようものなのかもしれない。キチンと姿が見えないから、ふわっしているから、努力すれば手に入るんじゃないのかなって思ってしまう。

 

 結局本物は何?なんて言ってる人は一生本物にはなれないのだ。それは、誰かに言われるもの、決して自分の中にあるものじゃない。だから、努力をしてどうなるものでもない。

 生まれもって本物か、結果本物と呼ばれるようになったもの。このふたつしかない、のかもしれない。