私はマスクをしない

 平常時の話ではありません、今の話です、念のため。

 

 マスクがないらしい。トイレットペーパーやティッシュペーパーはなくなっても(鼻セ○ブのような高価なものは案外残ってたりする。妻調べ)なんとかなるけれど、外出をしなければいけなかったり、人と接する仕事をしている人たちにマスクは必需品だ。

 私は家と店が一緒になっているため出勤することがない。その上、コーヒー豆屋という仕事だから頻繁にお客さんが来るというわけでもない(人気店は知りませんよ)。

 ゆえに、マスクをする必要が緊急でも最優先される人でもない。だからマスクが手に入ったら子どもたちに使ってもらう。

 

 もし、今も会社員をしていたらどうだっただろう?と考えてみた。車で通勤していたからそのときは必要ない。営業だったからいろんなところに出入りしていた。でも今のような状況なら積極的な訪問は先方も嫌がるだろうし、私も嫌だ。きっとどこかに車を止めて仕事をさぼっていただろう。だから、そんなにマスクを必要としていなかったような気がする。

 

 できれば、医療従事者や食品工場など人の生活に密接な場所に届けてほしいと思う。50年これといって困難もない時代を生きられてもらった私は一番最後でいい、マスクの配られる順位としては。もうね、たくさん生きらせてもらいました。出来れば、若い人たち届くといいな。あと、酷い花粉症の人にも。

 

 ものごとで大切なのは優先順位だと思う。ここの平等という概念はいらない。人はひとりで生きてるのではない。どうすればより被害が少なくなるか、それを考えることが大切だと思う。もちろん全員が無事であることが一番いい。でも現実はそんなに優しくはない。

 

 辛いことも悲しいこともたくさんあった。でも楽しいことやうれしいこともたくさん経験してきた。これからそういうことが待ち構えている子どもたちのためになにが出来るか、そんなことばかり考えている。小さなことかもしれないけれど、マスクがあったら自分が使用するのではなく、子どもたちに使ってもらう。って、それは自分の子どものことじゃないよ。マスクをしていない子どもを見かけたらマスクを手渡したい。

 

 世界中の人が同じようにマスクをして、それで供給が足りなくなったら、そのときはみんなで笑いながら歌でもうたえばいい。

 でもね、どこかの誰かのところにたくさんあって、必要な人の手に渡らない社会は絶対に間違っている。

 

 そんなことを思いながら私は今日もノーマスクです。

 

 ただ、マスクが手に入らないだけともいう(笑

 手洗いうがいはちゃんとしましょうね。