その金額でいいのかしら?

 変なところにケチである。会社員のころ100g50円安いからと本来飲みたいものと違うコーヒーを買っていた。だから自分でコーヒー豆屋をはじめたときは均一料金にした。金額に左右されず、好きなものを選んでもらえるように。って、そんな人少ないのかもしれないけれど、おこずかい制の中で本も音楽もアルコールもやりくりしないといけない当時の私のような人には喜んでもらえるかなあと思ったんだ。

  

 新店と言われる店に行って驚くことがある。なんかね、高いんだよ価格が(あくまで私の主観です)。コーヒー屋だけの話じゃなく、ラーメン屋だって定食屋だって、なんだか知らないが高いような気がする。別にボってるって話をしているんじゃなくて、なんとなくそう思う。

 ラーメン屋でビンビール(中ビン)があったとして、450円の店と500円の店と550円の店と600円の店があるとどんな印象を受けるだろう。バーのようにアルコールで収益を上げる形態じゃない業態なら450円で売っている店が良心的に見えるような気がする。きっと、ラーメンも良心的な価格なんだろうと思ってしまう。ビールが600円の店のラーメンは、そういうラーメンなんだろうとこちらも思ってしまう。まったく関連してない場合もかなりあると思うけれど、人ってそう思うことが多いんじゃないのかしら。良心的に見える、実はとても大切なことだと思っている。

 

 昔からある店に行くことがほとんどだ。20年30年と続く店に行くことが多い。すごく美味しいものを出しているとか、珍しいものがあるとか、コストパフォーマンスがいいとかとは無縁だけれど、ふつうに美味しいし、新規の店より平均的に安価だ。きっと事情通の人は、減価償却が終わってるからだとか、仕入れているものが良いものじゃないとか、いろいろ理由をつけたがるかもしれないが、そんなことはお客さんに何の関係もない。むしろ新しくはじめた店は既存の店より安価でなければなかなかかなわないんじゃないのかな。そう思い、アアルトコーヒーの価格設定は当時主流であった100g500円より50円安くした。これでダメだったら50円下げる、それでもダメだったらまた50円下げる。それを永遠に繰り返すつもりだった。値下げではない。必要とされていないのに勝手にコーヒー豆屋をはじめたのだから飲んでもらえる価格を探す必要性を感じていたんだ。誰も価格を決めてくれないし、自分で決めた価格には何の根拠もない、それくらいのことはわかってた。趣味でやっているわけじゃないのだから、価格は市場が決める、そういうことだ。原価を割ってもそれが自分のコーヒーの価格ならそれで販売していたと思う。

 

 ちょっとしたことだけど、大きなことってある。それは誰も教えてはくれない。だって、50円違いで変わるよなんて小さなこと言ってもね、なんか恥ずかしいじゃない。原価率や、損益分岐点なんかの話をしたほうが賢そうだし、かっこいいし。

 でもね、商売、とくに小商いなんて、小さくて恥ずかしいことの積み重ねで出来ているんだ。大きな商売のことはわからないけれど、小さな商売をするのなら、開業読本なんか読むよりも、近くにあるずっと続いている店に通ってみるほうが勉強になることが多いような気がする。

 

 あくまでも、私の意見です。今も、あいかわらずっと自分に問いかけてます。

その金額でいいのかしら?って。

 そして、うん、私はアアルトコーヒーのコーヒーを自分で買う、と思える価格と品質を保つために毎日仕事をしています。

 自分で自分の商品を買うかどうか、それがすべてだと思うんだ。