誰もいないところを探している

 

朝食時、娘が「やっぱり、みんなが言っているのと違うのはちょっと」と言った。

そうだよな、17歳、みんなのやっている通りにしていると間違いないよ。

だけどね、それが正解というわけではない。

その場所にはたくさんの人がいるよ。

 

勝ち負けが苦手。

だてに何十年もスワローズファンをしているわけでない。

負けた試合にも心動くところはたくさんある。

勝った試合で心がまったく動かないときもある。

それらの逆の時もある。

勝ち負けを見たいんじゃない。

結果なんてニュースで見ればいい。

すっごいプレイに心動かしたいんだ。

 

勝ち負けの緊張感だからこそのプレイもあるだろう。

だけど、それ以外のただ投げる打つ、すげーって言うのを見たいんだ。

すごいボールを投げ、すごい打球を打ち、すごい守備。

失敗もするだろう、めいっぱいやってたら。

その先にしか見えないものがある。

 

誰もが喜んでくれるコーヒーじゃない。

すっごいコーヒーを届けたいんだ。

品質も価格も鮮度も。

たぶん、他のコーヒー屋が目指しているところとは全然違うところへ。

ひとりぼっちだろ。

それでいい。

誰もいない場所で今日もすごいボールを投げるために努力をするよ。

 

そう、これを読んでくれているあなたのために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じことしか言っていない

月に一度図書館でイベントをやっている。

今月で40回を迎えた。

継続は力なりだ。

って、力になっているのかしら。

そのときに話をしていて自分で可笑しくなるときがある。

 

いつも同じことを言ってアレですが

 

という前置きをして話すことがとても多いのだ。

大体ご参加くださっている人は毎回違うし、そもそも私が話したことを覚えてくれている前提で話をする自我の強さたるや。

そんなに人は誰かの言葉を覚えていない。

カントだったっけ、ヘーゲルだったっけ。

そもそもどっちでもいいや。

歴史的有名人の言葉でもその程度。

それなのに、ああ、それなのに。

 

文章を書く仕事をいただくことがある。

その時も、アレっ、オレっていつも同じこと書いてない?と気付いてしまう。

ああ気付かなければ気持よく原稿が終わるのに、気付いてしまうんだなあ。

だからと言って、別段言いたいことがたくさんあるわけでもなく、これを言わなきゃってこともなく、切り口を変えるなんて芸もなく。

 

これからもきっと同じことを言い続けるんだろうな。

 

でもね、続けなければ届かないんだって身を持ってしっているんだ、本当は。

「いつからはじめたの?」

「15年前です」

いまだよくある店頭での会話。

自分が思っているより圧倒的な人が私のことなど知らない。

そう思うと同じことを言い続けなければならないと思うんだ。

 

って、着地無理やりかしら。

平熱

常に平熱でいる

商売をする上で心がけていること

 

信者を作ったりファンを増やすなんて考えない

15年前にはじめた頃はいろんなビジネス書を読んでそんなこと考えてたけど

私のやりたいこととは違うと思った

 

等価でありたい

どちらが上とかではなく

そう近所の肉屋に豚肉を買いに行くように

本屋に雑誌を買いに行くように

八百屋で大根を買うように

コーヒー屋にただコーヒーを買いにいく

 

長く続けるために必要なのは信用

だから大切なのはマーケティングではなく商品力を上げること

いいものだから売れるわけではないけれど

売れ続けるにはいいものを作らなければならない

15年やってきてそう思う

 

最初の頃のコーヒーは酷かった

酷かったけれど付き合ってくれる人がいた

とにかくその人たちのためにいいコーヒーを作りたかった

最初の売れているは商品力とは無縁なことが多い

最初ヒマで勘違いできなかったのがすぐ天狗になる私にはよかったんだろうな

 

平熱で踊り続けるのが商売

熱狂したければ自分の趣味でやればいい

熱狂はいつか覚める

だけど、生活は続いていくんだ

 

平熱でもの心の中で燃えることだって出来る

その火を消さないよう

誰かの言葉に流されないように

自分を信じてみよう

ビビりながらね

 

 

 

席を空ける

昨夜息子とスワローズの試合をテレビで見てた

なんでスタメンで若手使わないんだろうとどちらとともなく言う

最下位だし将来を見据えたほうがいいよなと息子

そうだよなあと思いながらモヤモヤする私

 

戦おうとするものが集う場で席を譲るのは間違っているのではないのだろうか

 

大きなイベントに出なくなった

コーヒー関連の取材を受けなくなった

自分はもういい若い人たちに出てもらいたい

そう言っているけれど本心なのか私

 

年齢なんて関係がない

勝負の世界なら尚更だ

負けなければわからないことがある

才能よりも経験が大事な場面がある

 

コーヒーロースターになってよかった

定年がないからお客さんがいてくれる限り続けることができる

長く続いている店が好きなのはきっと経験を信じているからだろう

才能より経験

 

席を譲るのではなく席を空けたんだ

誰かが座れるように

 

勝負の世界じゃ生きられない

勝ち負けのない世界

ここは私に合っている

これからも今いる席を空けて次の場所に向かうんだろうな

 

誰かのためではなく自分のために

 

 

生まれつき集中力が欠如しているみたいだ

生まれてこのかた周りが見えなくなるくらいなにかに集中したことがない

いつもそのことだけを考えているような何かに心を奪われたこともない

夢中になっているふりをしていた

夢中にならなければいけないと思っていた

 

いろんなことを並行して行う自営業になってはじめてそんな自分を肯定できた

ひとつのことに集中できないっていうのはいろんなことを同時に行うには最適な能力なのかもしれない

本をいつも何冊か並行して読む

音楽もそうだ

一枚のレコードをずっと聴き続ける性格ではない

 

飽き性でもない

なぜなら何かに心を奪われないから

好きだという熱量が多いとあとは失っていくだけ

最初はなんとなくでだんだん好きが増えていく感じ

その好きなものはひとつではなくいくつかが並行しているみたいだいつも

 

どうすれば最高のコーヒーを作ることができるか

そのことだけを考え続ける人生に憧れたりもするが私はそっち側ではない

毎日飲んでも体にも家計にもやさしいコーヒー

それを作り続ける側にいるしこれからもそこにいる

 

生まれつき集中力が欠如しているみたいだ

そのおかげでコーヒー屋を続けていくことが出来ている

ひとりじゃなにもできない

コーヒー農家で働く人

運送してくれる人

焙煎機を作る人

包材を作る人

ガスや電気を供給してくれる人

道を整備してくれる人

タンカーを造る人、操縦する人

ゴミを集めてくれる人、焼却してくれる人

倉庫で管理してくれる人

デザインをしてくれる人

たぶん、自分以外のすべての人の世話になりながらコーヒーロースターを営みとさせてもらってる

 

ひとりじゃなにもできやしない

それを忘れないように

 

ひとりで全部やること

生豆の仕入れ、包材の選択、各種デザインの打ち合わせ、焙煎、梱包、店番、メールや電話、ファックスの返信、 イベントの仕込みや出張のあれこれの手配、支払い入手金などお金のこと、でもってコーヒー教室やコーヒースタンド、なんか文章書いたり、店の掃除、などなど。

ようは、aalto coffeeにまつわる一連の業務をすべてひとりでやっている。

って、すべてひとりでやっているわけではなく、妻に助けてもらいながら、もちろん業者さんや関わりのある人すべてに依存しながら。

だけど一連の業務のすべてを自分ひとりの意志決定でやっている。

そのためにどれかひとつにかかりっきりになることがない。

いつもすべてを並行して行っている。

 

大学を出て就職したのは地元の旅行会社。

大手と違い、営業から企画、手配、仕入れ、見積もり、旅程管理、清算、入金まで担当者が受け持っていた。

旅行シーズンともなるといくつもの事案を抱え、いま自分が何をしているのかわからなくなっていた。

最初は失敗ばかり、だけど何年もやっていると次第に出来るようになっていくもの、不思議だけど失敗の数も減り、同時にいくつかのことを処理していく能力が上がっていった。

旅行業はまったく向いていなかった(入社して3日でやめようと思った)けれど、この会社で10年いたことは自営業をはじめてとても役に立った。

 

経験に無駄なものなんてない。

なんて言ってるんじゃない。

ただ、経験は時に役に立つ、だけどそれは後に役に立つと思っていないことをやっていればの話。

目的と手段、どちらも違う。

ただの結果だ。

 

人には向き不向きがある。

だからって最初から得意なことを伸ばしましょうとか、苦手を克服しましょうっていうのはちょっと違う。

ただすべてを並行してやっていく、もちろん失敗しながら。

得意も苦手もない、やらなければいけないことは坦々とやるのだ。

でもって、食えるようになり、いっぱいいっぱいになったら自分がイヤだなあと思う仕事を得意な人にやってもらう。

もちろんプロフェッショナルに有料で。

 

税理士事務所にお金の管理を任せている。

年に数回焙煎機メーカーからメンテナンスに来てもらっている。

生豆は信頼できる問屋から仕入れている。

今はね。

 

だけど最初から全部外部に任せたり、得意な人を雇ったりすると流れが見えなくなる。そう自営業で一番大切なことは流れなのだ。

最初から最後まですべてに自分の手を入れること。

それが何より大切だと思う。

 

小さなままを維持しようと、大きくしようと、最初はみんな同じ。

現場は生き物、それを忘れてしまうといずれ躓くような気がする。

そう、このブログは開業して15年経って気を抜くと初心を忘れがちになる私に向けて書いている。

 

全部やるんだよ、これからも、それがaalto coffeeだろ?